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10月26日27日 浜松・天王山福厳寺於 和歌劇「月と黄金」公演レポート - 2013.10.29 Tue

福厳寺で語った歌枕直美の覚悟とは、、

                歌枕直美友の会会員 ボランティアスタッフ 村瀬 隆

台風一過、快晴の空が広がってきた。
どうやら、台風も歌枕さんの、気迫におそれをなして、避けて通っていったのだろう。
午前中の荒れ模様が、昼になるとすっかり快晴に変わっていた。
どうやら、今年の浜松コンサートは、上天気の中で上演できそうだ。

一年ぶりに訪れる福厳寺である。
歌枕コンサートは、今日と明日の両日に渡って繰り広げられる。
毎年定例のコンサートとなった福厳寺の庭には、赤白両咲きの芙蓉の花が咲き、勢いよく吹き出す庭園の池には色とりどりの鯉が元気そうに泳いでいる。
ご住職の話では、この池の水は地下水からくみ上げているとのことで、アルプスの伏流水が地下に溜まって、福厳寺の下を流れているとのことだ。何百年も前に降った雨の地下浸透水を井戸から汲み上げて使っているとのことである。

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福厳寺の歴史は古く、何百年も前に建造されたとのことである。
2年ほど前に修復され、堂内は、明るく清潔感に満ちている。
福厳寺をぐるりと散歩してみると、寺全体の細部に至るまで、細やかな気配りが行き届いていることに気づく。
玄関の下駄箱やトイレにまで、蓮の花の一輪挿しがさりげなく、場をかざっているのは、ご住職の訪問者への配慮の心をあらわしているように感じられ、寺全体から感ずる心地よさは、そんなところに原因があるようだ。

福厳寺のご住職の話では、浜松に文化を育てたいという強い願いから、寺を開放し、コンサートや様々なイベントの会場としても活用できるように、市民に場所を提供しているとの事である。
こうしたご住職の意思とうたまくらの志が一致し、歌枕コンサートが実現したのである。

歌枕コンサートは、一般のコンサートとは違い、場や空間の持つ意味を重視している。その場とは重層に積み重ねられた時間であり、その場に蓄積した歴史の重みであり、建物や構造物の質であったりもする。
その場との共振性が生みだす音楽が、やまとうたであり、和歌劇であるともいえよう。
音はただの音響ではなく、その響きが生みだす深みは、すべて、複合的な要素の混ざり合った共振現象とも言えよう。さらに、そこには、場や音楽から引き出される人間の感情の連鎖の渦が重なり、再現不可能の一瞬の音が引き出される。歌枕コンサートの面白さというのは、そういうところにあるのだろう。
CDで聴く音楽もすばらしいが、こうした歴史在る空間で聴く音楽は、まったく質量が違ったものであることは、まちがいない。
何度聞いても、歌が新鮮に聞こえてくるのは、場との共振性が生みだす所以であろう。

さて、今日も、浜松の歌枕直美友の会のみなさんが、総動員で、お手伝い駆けつけてくださった。
例年こうしたコンサートが浜松で続けられるのも、友の会の皆さんのご尽力の賜である。友の会の皆さんの話を伺えば、すべて歌枕さんの歌に感動したというのが原因である。

このような、すばらしい歌をもっと多くの日本人に知ってほしい。という想いがその活動の原動力となっているとのことである。
こうした熱い想いを引き出す力が歌枕直美さんの歌にはあるようだ。
万葉集古事記といった、和歌を中心に据えた公演活動は、必ずしも一般大衆の関心を引く物とは言えないだろう。
しかし、日本人の中に喪失された何かを無意識に求め続けている人の心の琴線に、歌枕直美さんの歌は確実に響く強烈な何かを持っているようだ。

前半のやまとうたコンサートの中で、歌枕さんが話していたことであるが万葉集をテーマに歌を歌うきっかけになったのが、鹿児島の知覧での、特攻隊の若者達の遺書や写真をみた体験であるという。
日本人として生まれた自分は、何をすべきかと、真剣に考えたそうである。
その結論として、自分は歌によって、日本人の精神を語り伝えて行こうと決心したそうである。

その時から、幾十年を経てもなお、その活動は続けられている。
商業主義とは無縁のその活動は、地道だが、各地に多くの共鳴者を生みだして来た。
また、その活動は、ヨーロッパにも広がり、ポーランド、フランス、トルコ、フィンランドなど、各地で大小様々なスタイルでの公演活動を繰り広げて来た。

また、歌を歌う時は、観客が一人であっても、何千人であっても、変わりは無い。
つねに、一人の観客の思いにしっかり答える歌を歌い続けたい、語っていた。
福厳寺でのコンサートは、その信念のごとく、歌枕さんの想いを観衆にしっかり届けるメッセージ性を持ったものであった。

前半のやまとうたコンサートでは、いつものように、軽妙な語りと歌で繰り広げられていたが、はじめて、こられた観客の皆さんには、歌枕さんの歌の持つ歌の魅力を十分にご満喫いただけたことだろう。

後半の、和歌劇「月と黄金」は、源の義経を思う、静御前と西行を中心にした物語構成であった。脚本、演出、舞台監督は菅沼登先生である。
和歌を中心に物語を組み立てていくという軽業にも近い筋立てを、本質を失わず表現しつつ、1つの作品として成り立たせている構成力は、菅沼先生ならではの物である。
作品は、原語の和歌を中心に組み立てられているため、聴く人によっては、呪文のように理解不明である場合もある。しかし、あらすじは、現代語で歌枕さんが語りをいれるので、よく理解できる。
眼を開いて、観れば、プロジェクターで投影された映像の中に歌枕さんが浮かび上がり幻想的な視覚の楽しみがある。眼を閉じて聴けば、また一層、音の響きの面白さを味わえる。
日本の小学生が、歌枕さんの歌を聴いて、眼を閉じて聴くと、情景が広がり、よかったと語ったそうだが、同感である。
最近の私の聴き方としては、半分は眼を開いて聞き、半分は眼を閉じて聴く、すると和歌劇も、二様の楽しみ方ができるので、お試しいただきたい。

「月と黄金」という題名が筋書きと整合性が無いので、ひっかかり、その意味を考えて、思いあたったたことがある。
その真意は、ままだ聞いていないのでわからないが、おそらく月は、つまり精神や文化、伝統、風流といった、人間の本質を意味とし、お金で買うことのできない高い価値、黄金は、この世の権力やまさしく黄金、金や富といった物質的価値を意味しているようにも思う。
静御前や西行の求めた価値は、月であり、頼朝や時の権力者が求めた価値は黄金ということであろうか。

まさに、歌枕直美の求める価値は、月であり、黄金ではない。
また、歌枕直美コンサートに来る観衆の皆さんもそうであろう。
そんなふうに考えていたら、やっとすこし謎が解けてきた。

歌枕直美さんの歌がミリオンセラーにならない理由である。
黄金では無く、月を求める人の数は、そう多くはないであろう。
大衆に必ずしも、受け入れられる必要は無い。
月の価値を求める人々の人間の環こそ、もっとも重要な物だ。

静御前や西行の行く道の跡を、追って、月の道を、歌枕直美さんは行こうとしているのだろう。
ふと、そんな風に思った。

さて、この多様性に満ちた音楽と映像の曼荼羅劇は、幸運にも、京都の大覚寺で再演の予定だそうである。
やまとうたコンサートだけでも、圧倒される歌の魅力に加わる、和歌劇という独創的な芸術、まだご覧いただいていないみなさんには、是非一生に一度は、体感していただきたい世界である。
おそらく、このように美しい歌が、日本にあったことに、驚かれるに違いない。


◆歌枕直美 公演のご案内......................................................................................

  歌枕直美 和歌劇「月と黄金」

   11月2日(土)17:30開演 京都・旧嵯峨御所 大覚寺 御影堂於

  ◆お申込み・お問い合わせは..うたまくらまで 06-6317-3873

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アーティスト歌枕直美のライブを中心とした様々な音楽活動を、コンサートスタッフがレポートいたします。

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